株をはじめた頃、株価を知るすべは限られていた。パソコンもケイタイも無い時代、株価を知るためには証券会社に電話をかけるかラジオ短波を聴くかであった。若いトレ−ダ−は信じ難いだろうが、かつては新聞証券欄の順番にアナウンサ−が株価を読み上げていたのである。小生にとってはつい最近までと感じる一昔前のことである。証券欄のはじめにある証券コ−ドが若い水産・建設業は前場で2週目の株価を知ることができるが、後半の終わりにある不動産・サ−ビス業などは10時半ごろ一回株価を知るだけであった。当時証券会社の店頭にあったクイックを自宅にどうやったら引けるのか本気で考えていたことがあった。いまはケイタイでピコピコでいい。個人投資家にとってなんて贅沢な時代だろう。

小生は仕事中でも、モニタ−の隅に株価ボ−トを表示させている。恵まれた環境に感謝している。ただ東京電力のザラバが常時監視できるとかえってやりずらいことが多い。さすがにリアルタイムチャ−トとかマ−ケットスピ−ドは憚られる。仕事中の画面にRSIやMACD画面大写しでは知ってるヤツは知ってるわけで、ザラバ中の株価分析は差し控えている。バブル期でさえそんな投資情報は機関投資家しか持ち得なかった。そうしたツ−ルがすべて無料で手にすることができる情報社会に身をおけたことはなんと幸福であろう。「情報は金がかからないもの」というメリットを最も享受できたのがが金融の世界といってもいい。

バブル期、いわゆる街の投資顧問に世話になったことがある。会費は年額30万だった。当時は、たいして高いとは思わなかった。スペシャル会員は会費60万とかそれ以上がめずらしくなかった。その投資レポ−トは業界紙の切り張り程度の代モノに化粧しただけものだったが、熱狂のさなかの欲求を満たすには心地よい刺激だった。当時は情報はとてつもなく高額だった。むしろ高額なものほど本物の妖しい香りがした。

無料なものは無味無臭である。無料のものは拾ったものと同等である。真剣に向き合ってそれを噛み締め、味わうことはおっくうである。だから無料サ−ビスとは最も難しいサ−ビスなのである。

私の周りに「金を払わないと手に入れられない情報」が少なくなってきているのは幸福ではなく不幸なことだと思う。(dfb)