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今日、めずらしい日本茶をいただく機会に恵まれた。その色は決してよろしくなく、出がらしのような、ほうじ茶か番茶の品と見まがうようなお茶であった。

我が家は、普段から日本茶には比較的金を惜しまない。茶所おとり寄せのしっかりとした緑色をしたお茶に馴染んでいた小生にとって、それが安物の3級茶との先入観をもちながらいただいたのも無理もないことだった。

その茶葉は枯れ落ち葉のごとく、枯れ葉そのもので山吹色をしており、枝葉がその形状を完全に残している飾り気のないものだった。

湯飲みにその茶葉をそのまま入れ、熱めのお湯を注ぐ。色は全くと言ってよいほど出ない。急須は使わないのだ。湯飲みに息を吹きかけながら、水面に浮かぶ茶葉をよけ、すする水面を自分で作り出す。湯飲みに口と鼻を近づけるにしたがい、むかし子供の頃に通っていた商店街にあったお茶屋の前を通り過ぎる時の記憶がよみがえってきた。

一口味わうと、その記憶が全く正しかったことで気持ちが落ち着いてくる。その茶香と味わいの力強さに圧倒されながらそのお茶の生い立ちについて教わることになった。

それは全く自然環境のまま、つまり人の手にかからないで育った自生種の山茶(自然茶)であった。ものの本によるにわか知識だが、さきほどの枯れ葉色した茶葉こそ「茶色」であって、お茶色とはけっして緑色ではないというのだ。

人生少々余裕ができて、これまでにうまいものには手を伸ばしてきたつもりでいた。そんな自分が、ほんの一杯のお茶から、たいして本物を知らないで過ごしてきた浅はかさを教えられた思いであった。

手に取ったお茶はいつまでも、誇らしげに、力強く香っていた。


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